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東京高等裁判所 昭和29年(ネ)421号 判決

控訴人主張にかかる遡及買収計画の樹立、その公告、縦覧、右買収計画に対する異議申立、異議却下決定、この決定に対する訴願の提起、右訴願棄却の裁決及び右裁決書謄本の交付の事実はいずれも当事者間に争がない。

されば、昭和二十年十一月二十三日現在において控訴人が不在地主であつたか否かが本件の重要な争点であるので、これを審究するに、成立に争ない甲第二十号証(戸籍謄本)によれば控訴人の家族は、母なをゑ(明治十三年一月十三日生)、妻はつい(明治四十年十一月十一日生)、長女幸枝(昭和十三年一月二十四日生)、長男一夫(昭和十八年四月二十八日生)、二男春夫(昭和二十一年三月八日生)の五名であることが明らかで、原審証人有賀直喜、同保科大輔、同西村金市(第一、二回)同赤沢胤象、同野溝利雄、同加納伝、同加納良也の各証言、原審及び当審証人滝沢兼雄、同北原伝勇の各証言並びに右赤沢証人の証言により成立を認め得る乙第一号証の一ないし三同第二号証同第三ないし第六号証の各一、二によれば、控訴人が昭和九年頃京都市で弁護士を開業し、爾来同地において母親及び妻子とともに生活して来たところ、戦争苛烈な昭和十八年春頃家族全員を伴つて先祖伝来の土地家屋を有する郷里西春近村に移転し、控訴人所有の農地を耕作しはじめるに至り、農耕は主として妻子が当り控訴人としては依然として京都における弁護士の業務を廃することなく、京都と郷里とを往復し、農繁期とか、弁護士業務の合間などに農耕に従事し、正式には昭和二十一年十月二十六日に西春近村へ転入の手続をとり、配給物資の配給もその頃まで京都市において受け当時まで西春近村の農地委員選挙人名簿に控訴人の登載なく、昭和二十年度の所得税は控訴人として西春近村に納付していない事実が認められ、訴外西春近村農地委員会はこの転入手続、配給の点及び農地委員の選挙権のなかつた事実を主なる根拠として少くとも控訴人の昭和二十年十一月二十三日現在における生活の本拠は京都市にあつて、西春近村は不在であつたものと認めて本件買収計画を樹立したものであることが認められる。もとより在、不在を認定するに当つては生活の本拠を基準とすべきであること多言を要しないところで、転入の手続など訴外西春近村農地委員会が主なる根拠とした前記の事実及び控訴人として昭和二十年度の所得税を西春近村に納入しなかつた事実は、控訴人の生活の本拠を認定すべき有力な資料であるには相違ないが、前記の各証拠と成立に争ない甲第一ないし第十九号証、原審証人西村光男、同柴垣敬太郎、同浅井暦造、同亘通子、同西村九一、同飯塚九澄、同西村はつい、当審証人上西喜代松、同小田美奇穗、同多田益三、同小林良美の各証言及び右小林証人の証言により控訴人が西春近村でつくつたものであることを認め得る検甲第一、二号証、成立に争ない乙第七号証を綜合考覈すれば控訴人は、昭和十八年春頃母なをゑはじめ家族全員を伴つて郷里西春近村に移転するに当つては先祖伝来の墳墓の地を生活の本拠とする方針をもつて家具、什器の目ぼしきものは全部西春近村の居宅に輸送し、京都の居宅は借家のままで僅かに控訴人の寢具と自炊用の道具を残し、終戦後に隣家の亘通子に依頼して客用の座布団を造つた位で、玄関の両側には荒地野菊の如き雑草がはびこつている有様で、昭和二十六年頃から留守番を常住させるようにするまで控訴人が訴訟業務のため京都に来たる外は殆んど閉鎖しており、母親、妻子は全く郷里西春近村において生活し、再び京都へ帰る模様とてなく、控訴人は弁護士としての業務の外は郷里西春近村に住所を定める意思の下に家族とともに居住して、所有農地六反四畝二十一歩を農耕するため農器具を整備し、家族はもとより控訴人もまた京都に赴く以外は自ら農耕に従事し、昭和十八年度から部落費を納め、昭和二十年頃の部落の道普請には控訴人自ら出役し、昭和二十二年一月には県民税を納入し同年度の産米甘藷の供出をなすなど年間中大半は西春近村にあつて農業経営をなして現在に至つている事実を認めるに十分である。かかる控訴人の生活状況よりして控訴人が昭和十八年春頃から西春近村に住所をもつて現在に至つたものと認定するを相当とし、控訴人が弁護士として京都弁護士会に所属し同地において業務に従事していることは右認定の妨げとなるものでない。その他被控訴人提出援用にかかる証拠によつては右の認定を覆すに足りない。

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